老朽化による移転のため、名古屋競馬場(名古屋市港区泰明町)が、十一日開催のレースを最後に閉場する。七十年余にわたり、身近な娯楽の場として愛された。
十日のレースには各地の有力馬が集結。往年を思い起こさせるにぎわいに、ファンも職員も感慨に浸った。
この日午後四時すぎ、重賞のレース「中日新聞杯・名古屋大賞典」を目当てに、四千四百人が詰め掛けた。県競馬組合臨時職員の籠順治さん(73)は「久しぶりの盛り上がり」と喜んだ。
一九七四年に就職した当時、場内はたばこの煙に覆われ、客の叫び声が地鳴りのように響いた。「競馬は労働者が気持ちを発散できる娯楽だった」。
都市化とともに付近から養鶏場や厩舎(きゅうしゃ)は消え、代わりに集合住宅が林立。遊び感覚の高齢者が目立つように。競馬場は時代を映す鏡だった。「移転は仕方ないけど、みんなが集まる場がなくなるのは寂しいね」と明かす。
籠さんは獣医師として競走馬の治療を担ってきた。約十五年前に馬のインフルエンザが流行した時は各厩舎を回って検温や隔離を繰り返し、拡大を食い止めた。
この日も全十二レースを見守った。なじみの二頭が好成績を収め、「故障した馬が走れるようになり、レースで勝つのが一番の喜び」と語った。
最終の十二レース直前、実況席の畑野謙二さん(63)は穏やかな声でアナウンスした。「最後の名古屋競馬場での思い出を心に刻んでいただければと思います」。
実況歴は三十年に上り、十一年前から組合職員になった。「名古屋の大将」と呼ばれた競走馬カツゲキキトキトの快進撃や、地方競馬通算千勝を達成した女性騎手の宮下瞳さんの活躍など「どれも印象深い」と振り返る。
移転は「さみしいより、楽しみの方が多い。最終日は七十三年の感謝を胸に実況したい」と誓った。
場内に並ぶ飲食店の一角。開業から五十年余の「大島屋」は閉場に合わせ、十一日に店を畳む。看板メニューは「みそかつ」「どてめし」。昭和後期は連日、店の前に行列ができた。
バブル崩壊で入場者が減り、近年は馬券のインターネット販売の普及で客足が遠のいた。そこに新型コロナウイルス禍が追い打ちをかけた。店主の大島栄一さん(77)は「移転でこことはお別れ。私も引き際」と引退を決めた。
心に残るのは客席での触れ合い。常連客は験担ぎなのか、「みそじゃなくてソースね」などと決まって同じ注文ばかりだった。「もうかったよ、ごちそうさま」。客がにんまりとした表情で店を出るのがうれしかった。
十日はランチタイムを過ぎても行列が絶えなかった。大島さんは「さみしい」とこぼしつつも、「これまでありがとう」と常連客を送り出した。
記事の全文は中日新聞
www.chunichi.co.jp/article/432748
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